『嫌われる勇気』のアドラー心理学まとめ

『嫌われる勇気』のアドラー心理学まとめ

これまで『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を何度か読み返してきたのですが、この記事では私自身が特にタメになったと思う部分を3点まとめてみました。

スポンサーリンク

1. 人は怒りを捏造する (P.32~)

登場人物の『青年』が喫茶店でウェイターにコーヒーをかけられてしまいブチキレて大声で怒鳴ってしまったのだそうですが、その話を聞いた『哲人』が

「それって怒ったから大声出したんじゃなくて、大声出したかったから怒ったんじゃない?」

みたいにズバズバ核心をついてくるわけです。

この部分を読んだときに、これまさにおれのことだわ、おれのために書かれた本ですわ、と思いました。

つまり、青年には「大声を出す」という目的が先にあって、その手段として怒りという感情を捏造したという耳の痛いお話でした。

2. なぜ自分のことが嫌いなのか (P.62~)

なぜ自分のことが嫌いなのか』について、登場人物の『哲人』は、こう説明しています。

なぜあなたは自分が嫌いなのか?なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからなのです。

あなたは他者から否定されることを怖れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

私はこれを読んだとき、ズバーンと心を撃ち抜かれました。

確かにここ数年の自分を振り返ってみると、

まだ体調に波があるし、こんな状態じゃ誰とも仲良くなんかできないよな~

自分はまだうつ病が完治しているわけじゃないし、人に好かれるはずがない。うつ病さえなければなぁ…

なんて考えて、自ら誰かと関わることを控えていました。

しかしながら哲人の言うように、本当の目的は他者との関係のなかで傷つかないことだったのかもしれません。最初から勝負しなければ負けることはない、みたいな。

こういう『自分の本当の気持ち』って他人から指摘されると若干イラッとするのですが、こちらはもうグウの音も出ませんでした。

3. 劣等感は、主観的な思い込み (P.73~)

劣等『感』≠ 劣等『性』

アドラー心理学では、劣等感は主観的な思い込みであり劣等性ではないとしています。

例えば身長に関していうと、大柄で屈強な男性はそれだけで相手を威圧してしまうことがあるかもしれません。でも、小柄であれば初対面の相手でも警戒心を解いてくれる。

身長が低かったとしても、低いなりのメリットがあるのです。

同じく身長が低い人でも、それをコンプレックスに感じる人もいれば全く感じない人もいます。つまり、その身長について本人がどのような意味づけをするか、どのような価値を与えるのかで変わってくるのです。

自分自身、落ち込みやすい性格や身長などの身体的特徴にコンプレックスを感じてきましたので(そこまでちっちゃくないよ!)、とてもいい学びになりました。

こちらは以前私がツイートしたものなのですが、細かいことが気になってしまう性格も一長一短ですよね。

昔は嫌で仕方なかった性格ですが、こういったように色々察知してきたお陰で現在無事(?)生きていられるのかもしれません。

偽りの優越感に浸る『優越性コンプレックス』

また、自分から見て「この人すごいなー」と思うような人も、実は一種のコンプレックスを持っているのかもしれないと思うようになりました。

アドラー心理学では、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る心理状態のことを『優越性コンプレックス』と呼んでいます。

Facebookなどでいわゆるキラキラ投稿を連投している人、10本の指全部にメリケンサックのごとくゴージャスな指輪をはめている人なども、もしかしたらこうしたコンプレックスを持っているのかもしれません。

上記のようなコンプレックスは、他者との比較や競争の中から生まれますが、嫌われる勇気の中では、

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるものではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

と説明しています。

競争や勝ち負けのメガネを外し、他人ではなく「理想の自分」を思い描いていきたいですね。

さいごに

『うつノート』というブログ名でありながら今まであまりノートっぽさがなかったのですが、こうしてまとめてみると若干ノートみたいですね。

同じ本でも人によって気づきや学びのポイントが異なると思いますので、ぜひ一度実際に読んでみてくださいね。